676 名前:(・x・) ◆ONAUsa8/Wg [sage] 投稿日:2012/05/01(火) 11:09:32.30 ID:NvQlKppj0
休みの間。。。暇だから。。。
歌川国芳の。。。スカイツリーが書かれた浮世絵。。。
あのスカイツリーらしきものが何か。。。調べてみた。。。
そしたらさ。。。驚愕の事実がわかった。。。
http://www.tokyo-np.co.jp/article/tokuho/list/CK2011022202000038.html
江戸時代の浮世絵師が「東京スカイツリー」を予知していた…かどうかは分からないが、驚くことに、来春開業の電波塔にそっくりの“謎の塔”が、隅田川を描いた風景画に残されていた。作者は、大胆な構図や奇抜な発想で人気の浮世絵師歌川国芳(一七九七~一八六一年)
694 名前:(・x・) ◆ONAUsa8/Wg [sage] 投稿日:2012/05/01(火) 11:12:03.17 ID:NvQlKppj0
スカイツリーが書いてあると言われる。。。歌川国芳 東都 三ツ又の図。。。
奇想の天才絵師 歌川国芳
はたして。。。本当にスカイツリーなのだろうか。。。
まず。。。私は東京の地理にウトイので。。。グーグルマップで位置の確認をします。。。
国芳が書いたと言われる場所は、中洲だと記録に残っているので。。。
今で言う 日本橋中州付近 で間違い無いと思います。。。
そこからスカイツリーは、北東の方角となりますね。。。
では、中洲から北東をグーグルアースで見てみましょう。。。
確かにスカイツリーが綺麗に見えます。。。
ただ、国芳の構図とは違う気が。。。
では、国芳はどのアングルで描いたのでしょう。。。
698 名前:(・x・) ◆ONAUsa8/Wg [sage] 投稿日:2012/05/01(火) 11:12:54.01 ID:NvQlKppj0
国芳がどのアングルを書いたかは、絵の中からヒントを探しましょう。。。
1.隅田川を横断する大きな橋。。。
2.対岸に見える小さな橋。。。
3.謎の塔 の横に 謎の塔。。。
4.遠くに見える謎の物体。。。
1.当時。。。隅田川を渡る大きな橋は多くありません。。。
スカイツリーの方角、北東となれば。。。『新大橋』なのですが。。。
それだと、絵の中では左側に書かれなければいけません。。。
と、言うことは。。。もう一つ南側の橋。。。『永代橋』となります。。。
2.では。。。対岸に見える小さな橋は何橋でしょう。。。
現在は埋められてますが。。。当時は永代橋の北側に3本の川(厳密には堀、水路)が有りました。。。
北から仙台堀川、中之堀川、油堀川の3本。。。
それぞれの川に橋がかかっていて。。。上之橋、中之橋、下之橋です。。。
対岸の橋は。。。このうちのどれかでしょう。。。結論は保留にします。。。
704 名前:(・x・) ◆ONAUsa8/Wg [sage] 投稿日:2012/05/01(火) 11:13:57.45 ID:NvQlKppj0
3.スカイツリーと思しき謎の塔の横に もう一つ塔があります。。。
コレは 火の見櫓 です。。。記録がちゃんとあります。。。
位置的には。。。中之橋 と下之橋 の間です。。。
国芳の絵を見ると。。。火の見櫓の左側に橋がありますので。。。
2の答え、対岸の橋の名前は。。。中之堀川にかかる『中之橋』となります。。。
4.永代橋の向こう側に謎の物体が見えます。。。
地図でその方向をみてみますと。。。石川島・佃島です。。。
東京湾の玄関口。。。船舶の要所として名高い石川島。。。IHI発祥の地です。。。
そう言われると。。。船のマストがたくさん立ってる様にみえます。。。
そもそも。。。この絵のタイトル東都三ツ又図。。。『三ツ又』とは何でしょう。。。
隅田川が北から南へ流れ。。。河口付近で石川島佃島にぶつかり。。。
Yの字状に分岐します。。。このYの字のところが『三ツ又』と呼ばれる場所なのです。。。
絵のタイトルは。。。何処『で』書いたかでなく。。。何処『を』書いたか。。。ですもんね。。。
以上をふまえると。。。こうなります。。。
スカイツリーとは逆方向。。。南を向いていることになります。
この場所をグーグルアースに。。。
現在はなくなっている川や。。。火の見櫓 を加筆して見てみましょう。。。
712 名前:(・x・) ◆ONAUsa8/Wg [sage] 投稿日:2012/05/01(火) 11:15:08.88 ID:NvQlKppj0
これで。。。絵のアングルがわかりました。。。
そして、スカイツリーでありえない方角を向いている事もわかりました。。。
では、このスカイツリーと思しき塔は何でしょう。。。
様々な文献、この周辺を書いた浮世絵、地図等をさがす。。。
それらしきが見当たりません。。。
文献が無いのではなく。。。この場所に塔が書かれていないのです。。。
つまり、この塔は常設の建築物でなく。。。
一時的に立てられたものではないかという。。。推測がたちます。。。
今、最も有力なのは。。。『井戸を掘る為のやぐら』ではないかという説です。。。
っというか。。。ほぼ確定な勢いです。。。
くしくも。。。国芳本人が。。。井戸掘りやぐら を描いています。。。
子供遊金生水之堀抜/歌川国芳
なるほど。。。それっぽい気はします。。。
ただし。。。デカすぎないか?という意見もあるそうです。。。
たしかに。。。三ツ又図を見ると。。。かなり高い。。。
火の見櫓のサイズは3丈2尺(10m)と決まっており。。。
謎の塔はその2.5倍くらいあるので。。。25mです。。。
いや。。。遠近方でもっと遠くにあるなら。。。それ以上ってことに。。。
子供遊金生水之堀抜をみると。。。人間の大きさで比較して。。。9mくらいか。。。
そう考えると。。。井戸掘りやぐらでは。。。デカすぎなのです。。。
井戸掘りやぐら の高さは。。。掘る井戸の深さに比例するそうで。。。
東京湾近辺で。。。そんな深く掘っても。。。海水が出るだけです。。。
716 名前:(・x・) ◆ONAUsa8/Wg [sage] 投稿日:2012/05/01(火) 11:15:54.17 ID:NvQlKppj0
井戸掘りやぐら で無いとすれば何でしょう。。。
対岸の川の名前を思い出していただきたい。。。
仙台堀川、中之堀川、油堀川。。。
油堀川?!
油を掘る川?こ、これは。。。せ、せ、せ、石油のことでなかろうか。。。
理屈は井戸掘りとおんなじ。。。違いは、深く掘ること。。。
そのためには。。。高い高い『油井やぐら』が必要。。。
油井やぐら
ココだけの話だけど。。。
まだ麻生さんがホッケの煮付けに悩んでいた頃。。。
東京湾に大油田があるという噂がありました。。。
これ本当なら。。。江戸時代に採掘を試みても。。。不思議はない。。。
だが。。。江戸が石油産出国だったなんて聞いた事ない。。。
掘ってはみたけど。。。出なかったんでしょうね。。。
この絵が書かれたのは。。。天保2年。。。京都で大地震がおこり。。。
ねずみ小僧が活躍。。。天保の大飢饉、大塩平八郎の乱、蛮社の獄とつづく。。。
そんな時代です。。。
こんな無茶苦茶な時代なら。。。石油採掘計画があってもいいかなぁ。。。
と言うことで。。。謎の塔の正体は『油井やぐら』で決定。。。。
ん?待てよ。。。
油井やぐら の始まりは1859年ペンシルベニアで。。。
天保2は1831年だから。。。30年近く早いではないか。。。
ならば。。。コレはオーパーツということになる。。。
つまり、歌川国芳 東都三ツ又の図 の真実は。。。
『徳川 江戸前 油田開発の図』であり。。。
そこには。。。『油井やぐら』という。。。その時代にアルはずのない。。。
オーパーツが描かれたいたのだ。。。
おしまい。。。
723 名前:山師さん@トレード中[sage] 投稿日:2012/05/01(火) 11:17:13.24 ID:vlDOil2I0
>>716
最後にオチをつけるところが・・・
726 名前:腰振って逝ける? ◆KosHiFimNo [sage] 投稿日:2012/05/01(火) 11:17:41.85 ID:rLVQPlWe0
>>716
オーパーツってなに?
732 名前:(・x・) ◆ONAUsa8/Wg [sage] 投稿日:2012/05/01(火) 11:18:36.70 ID:NvQlKppj0
>>726
その時代にあってはいけない物。。。
聖徳太子の地球儀とか。。。
コメント
コメント一覧 (49)
あそこまで大きな井戸を掘る塔は日本でありえません。まぁ実際何なのかはわかりませんが、
スカイツリーにしておいたほうが夢があって面白いと思います。
「東都御厩川岸之図」という絵に描かれている、右下にいる人物が持っている番傘に
「千八百六十一番」と言うなんの脈絡も無い数字が書かれているのですが
歌川国芳さんの亡くなられた年月を西暦にすると、何故か1861年になっています
この方の作品を見ていると、妖怪や化け物など奇抜な作品がとても多く存在し
未来を予知していたと言うのはあながち嘘でもないのかもしれません。
それはとにかく高いのだ、ということを表現しくて敢えて既存の火の見櫓の隣に配置したようにも思えるのだ。
とにかく当時実在したものであるならば、いろんな意味でエポックメイキングであったはずで、傍証的な記録が残って無ければおかしいが、それは無い。
スカイツリーに該当するかどうかは横においておいたとしても、画家の空想上の産物である可能性の方が説得力があると思う。
先端が避雷針のように鋭く尖っているのも見逃がすことはできない。こういう部分こそデフォルメ的な裁量範囲とは異なり画家はそのデザインドローイングに関して一定のこだわりをもつはずである。
当時の櫓構造物でそのような類型が存在したのだろうか?(ちなみに世界中の現代タワーの先端部は避雷針機能のために必ず尖った金属構造部になっています)。
もうさ、みたまんまじゃん
歴史ってさ 基本文献だから
間違えたり後から書き直してたり
お芝居の為に加筆する度に変わるけど
『絵』だぜ?
もうさ、何を疑うの??
揺るがない事実がそこにあるじゃんwww
重要なのはこの読みをどれくらいの制度(確率)で当てるかって事なんだよね、未来予知は難しいけど、何度も言っていいなら当てれる
見難い
パイナポペーン
トゥントゥンタァン
ペンパイナッポーアポーペーン
浮世絵が実物と同じ大きさで描いているって前提が間違いだよな
言偏忘れてますよー!
やたらでかい生物や空想上の妖怪がでてくる
つまり歌川は空想画家なんだから色んな物を空想で大げさに描くのは当たり前のこと
最後まで読む気にならんかった
しかし、先端部の避雷針形状からあまりにもスカイツリーを彷彿させるので、
江戸時代にそのような建物が在ったのか?これについて調べてみる事にします。
無ければ、やはり場所は違えども、インスピレーションを受けた可能性も考えら
れてきますね。
結局どっちなん
国芳などの絵師は、当時の遠近感を間違えるだけで同業絵師からバカにされるくらいの競争があったので気を遣っていた時代にあの高さはあり得ない
むしろ、手前に火の見櫓を描いて、その大きさを対象にしてる
当時にあの高さでは国家プロジェクトと言えるくらいの建築物、国芳が奇抜な絵師だとしても何かを見なければ描けないと思う
それが何かはわからないが
もし本物かそれに近い物を知ってて書いたならもっと似てなきゃおかしいよね。
国芳は平成生まれの美大生がひょんなことから江戸時代に紛れ込み
ついついスカイツリーを書き込んだってことで。
おいらがタイムトラベラーって証拠であることを平成の民に知らせる為に絵師になっちゃった
そいで、スカイツリー書いちゃった (´∀`*)ウフフ
by国芳
乞う、ご期待!
乞う、ご期待!
ロマンがある。。。。。
知性はない。。。。
「スカイツリーとそっくり」
賛同者は嘘つきばっかりだな